「いじめ」について

今日のニュースで、9日、新潟県の中学生が学校の3階から転落死した事件で、遺書が見つかり「いじめ」により自殺したことが明らかとなったことを知りました。何度も繰り返されるこのような悲惨な事件をニュースで見るたびに心が痛みます。なぜ「いじめ」による自殺が後を絶たないのか、学校側の指導等の問題ももちろんあると思いますが、私はこの「いじめ」という言葉そのものにも問題があると考えています。「いじめ」という言葉の中には、子供同士による「軽い」嫌がらせと言った「たいしたことがない」というニュアンスを感じ、また、いじめられた人間が「弱い者」というマイナスのイメージすら含んでいるように感じます。いじめは列記とした「社会的ハラスメント」であり、他人を絶望の淵に陥れ、自殺にまで追い込んでしまう行為であるという点では、私はもはや「未必の故意による殺人」であると考えています。いじめを行う者に、ことの重大さを認識させるためにも、この「いじめ」という言葉を使うのは学校、教育委員会、マスコミ、私たち全ての人間が止め、「強要殺人」とでも呼んだほうが良いのではないかと思います。

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